ベビーカー自粛騒動が起き、ニュースを読んだ。
中々に考えさせられる内容で、乗蓮寺側に同情せざるを得ない。
意外な言い分でも何でもない。真っ当な言い分だった。
早く乗蓮寺側の信頼が回復されることを祈っている。
Twitter発端の騒動
この騒動はTwitterが発端だ。
「ベビーカーご利用自粛のお願い」の看板の写真と共に、
「何の落ち度もない単に小さい子供を連れたママさんが初詣に来て、これを見て嫌な気持ちになると想像できないだろうか。なら松葉杖の人も、車椅子の人も足の悪い高齢者も、視覚障害者も全部遠慮しろと?」
というツイートが出たのは2017年1月1日。それが瞬く間に拡散し、ネット上で大論争に発展した。
そして、これをキッカケに論争が勃発。著名人も発言する事態に。
乙武洋匡さんはこうした騒ぎに関して1月4日にツイッターで、
「『混雑時のベビーカーは自粛すべきだ』という意見を耳にするたび、車椅子も同じように思われているのだろうと肩身の狭さを感じる。不寛容な社会になればなるほど、『生きづらさ』を感じる人が多くなっていく」
などと感想を述べた。東京都議会の音喜多駿議員は、「初詣ベビーカー論争」だとし、ブログで、
「少子化の最大の原因は、わが国が『子どもを産めば産むほど不自由になる社会』であることだと考えています」
と訴えた。
ただこの看板を出したのは理由があった。
ベビーカー1台にファミリーが5人、10人と付いてきて専用通路を通り参拝し始めたのだ。混んでいる時にはお参りするまで1時間待たなければならないため、それを見た参拝客が腹を立て「なんだあいつらは!!」と寺の担当者と小競り合いになった。
また、ベビーカーがあれば優遇される寺ということが知れ渡り、小学5年生くらいの子供をベビーカーに乗せて現れる親が相次ぐことになった。親は優先通路に入るとベビーカーをたたみ、降りた子供は敷地内を駆け回った。
他にもベビーカーを利用した問題が多数起き、やむなく看板でベビーカーご利用自粛をお願いすることになった。そして今回の騒動に繋がった。
乗蓮寺側の説明により沈下しつつある騒動ではあるが、「混雑時にベビーカーはどうなのか?」という論争はまだ続いている。
そもそも、ベビーカーを悪用する人間がいなければ起きなかった問題でもある。意味があってのルールなのに、ズルい人もいるなぁ悲しいなぁと思ってしまう。
Twitterで発言する危険さ
このニュースと同時に、Twitterで発言する危険さを改めて感じた。
幸い、ベビーカー自粛騒動については「乗蓮寺でベビーカー自粛騒動があったが、それには理由があった」というニュース内容になった。しっかりと裏取りをした記者がいた事、乗蓮寺側の対応が早かったことが良い結果を引き寄せた。
これがもし、取材も裏取りもせずPVだけ稼ぎたいメディアに取り上げられていたら「乗蓮寺はベビーカーを自粛させている、差別だ!」という記事があらゆる場所で書かれていただろう。
Twitterは本当に難しい。
140字しかない世界で、誤解なく説明するのは難しい。
現に、このツイートを発端に、乙武氏や議員まで発言をする事態になってしまった。
Twitterで自由に発言するのは構わない。批判や批評をするのもいいだろう。
ただ、それが拡散され、あらゆるニュースサイトやまとめサイトで引用されたあと、誤解とわかった時、どうやって撤回するのか?
鍵垢にするか、ツイートを削除すればいい?それで一時はしのげるだろう。
Twilogなど自分のツイートを記録するアプリなどからも、発言を消す手続が必要だろう。
Web魚拓などを取られていたら、削除手続(※1)をする必要がある。
ニュースサイトやまとめサイトで自分のツイートが紹介されていたときは?
Twitterの埋め込み機能を使った良識あるニュースサイトならツイートを削除すれば消えるが、文面をコピペしたニュースサイトやまとめサイトは削除依頼を送っていくしかない。それはすぐ対応してもらえるだろうか?
あのツイートは誤解でしたというツイートをすればいい?それは前のツイートよりも拡散されるだろうか?
そもそも、間違えたツイートをした人間は、間違って広がったツイートを、削除依頼して回る行動をするだろうか?「誤解を生むようなことをするやつが悪い」と言って正当化してしまうのではないか?
Twitterでの発言が独り歩きをはじめたとき、止めることが出来ない。
それが「誤解だ!」「クソリプするな」「クソRTだ」と言おうが、書いた自分の責任であるのは間違いない。放置か削除依頼を送り最後まで責任を取るか、選ばなくてはならない。
※1 Web魚拓は、日本では無断転載扱いなので本人証明が出来れば削除できる。ただし、archive.isなど海外のサービスは日本の法律外なので削除申請は難しい。この件もこのように記録が残っている。
感情的な内容を、脊髄反射でツイートするのは危険
脊髄反射でツイートすると、それが思わぬ拡散と影響を与えるツイートになることが多い。
比較的RTされやすいのは、その刹那感じたもの、感情的なツイートが多いように思える。
(むしろ、RTされようと考え抜いたツイートほど、RTされない)
ファボやRTは「そうだそうだ!そのとおりだ!」という共感の数でもある。共感を生むのは感情だ。
感情的なツイートは、共感を生みやすい。
特にネガティブなものやヘイト系は、共感を得やすいのだろう。
共感を得やすいものは拡散される。
それは非常に危険なものだ。
CNBCの報道では、SalesforceのCEOであるマーク・ベニオフ氏も、ネットいじめの横行、そしてそれを解決する術がないことを理由に買収をやめたとしています。CNBCで株や投資に関する番組のホストを務めるジム・クレイマー氏は、「買収を考える人は多くのフォロワーを持つ人のアカウントを見る、そしてそこに溢れるヘイトコンテンツを目にする」と買収が進まない理由を解説。
Twitterには「共感を得れば拡散される」という魅力がある。
だから僕も利用しているのだけど、ネガティブなものやヘイト系を見かけると辛くなる。
最近では相手のTLはもちろん、自分のTLも見ていない。ブログに対する引用RTや自分へのリプライに反応するだけだ。
どんな争いも、両方の言い分を聞いてから。ツイートするかはその後でもいい。
これは、何か問題があったとき、片方の言い分だけを聞いてはならないという教訓だ。
友人同士。
上司と部下。
父と母。
スタッフ同士。
すれ違いやぶつかり合いが起きた時に、片方の言い分だけを聞くのは、誤解を生む。
両方の言い分を聞いた上で、考え無くてはならない。
同時に、感情的になっている時に、Twitterに書き込むのは危険だと思う。
先程も書いたように、感情的なツイートは共感を生み、広がりやすい。
冷静さが必要だ。
自分達のツイートは、全世界から監視されている。そういう自覚が必要なのだろう。
(なぜツイッターだけ標的なんだと思われるかもしれないが、他ユーザーが多いFacebookなどは投稿毎に公開範囲を設定できるので、自由に拡散範囲を選べる。またあとで訂正する手段が多い為問題になりにくい。油断はできないけど。)
また、どういうふうに引用されるのか、それはルールに則っているのかも判断できる知識も必要だろう。それは以前書いている。
そこまで戦々恐々とTwitterを使いたくないのであれば、自分のツイートがどこにどう使われようが知ったことではないと開き直るしかない。
情報発信の難しさを噛みしめる日々です。
ではでは。