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「煽り耐性がない」というdisに違和感。なぜ加害者が擁護されるのか?

2017/09/14

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アニソンDJのけんしろうです。

昔から疑問だったのだけど…

ネットの「煽り耐性がない」というdisに違和感を感じる。

なぜ加害者が擁護されるのだろうか。不思議だ。

煽り耐性とは?

あまり僕も馴染みがない言葉なので、調べてみた。

ネット上では必須の能力とされている。要するにスルースキルとほぼ同義であるが、スルースキルが「いかに気にしないか」に主眼を置いた表現であるのに対し、煽り耐性は「気になったとしても、いかに我慢できるか」に重点をおいた表現であるという点で主観面で若干の違いがある。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%85%BD%E3%82%8A%E8%80%90%E6%80%A7

「気になったとしても、いかに我慢できるか」が煽り耐性らしい。

これとは別にスルースキルというのもあるらしい。

「煽り耐性がない」という言葉

Twitterの検索で「煽り耐性」で調べるとわらわらと出てくる。

https://twitter.com/ponkana113/status/901424937013047296

攻撃的なリプに反論しているのを見て、煽り耐性がないと言うようだ。

または大人気なく反論している様をあざ笑う行為全般を「煽り耐性がない」と言うのだろう。

「煽り耐性がない」という、加害者を擁護する考え方

僕のインターネット歴は20年以上になる。オフ会グループを作ったり、コミュニティの呑み会で幹事を務めたこともある。

その会話の中で、よく煽りの話になった。

昔色んな人に「煽り耐性がないって言っているけど、加害者を擁護する考え方ってどうなの?」と聞いたことがあって。

その時の答えは「いや冗談だから」「挨拶みたいなもの」「ネットの作法だよ」という回答が多かった。

僕は疑問だった。

「いや冗談だから」という言葉。冗談が通用するというのは、信頼関係があった上での話じゃないだろうか。たいして会ったこともない人との信頼関係なんて、あるのだろうか?

「挨拶みたいなもの」という内容にも疑問が残る。ほぼ他人に近い人間を煽ることが挨拶なら、それを学校や職場でも出来るのだろうか?

「ネットの作法」という意見もズルい言葉だと思う。「みんなやっている」「常識だ」と暗に言い聞かせているようだが、それは貴方の常識であって世界の常識では無いだろう。いかにも「常識だ」と言いくるめてくる所に、ブラックさを感じる。

色んな意見を聞きながら、最終的な僕の結論は、

「信頼関係がない人間から煽られるのは、ただの中傷行為」だった。

それを「煽り耐性がない」という言葉で自分を擁護している人をみて、性格が悪いなぁと思った。

ネットの作法って、非常にくだらない。

誰だって人を傷つけている。

「君だって、ブログで人を煽っているだろう」と思う人もいるだろう。

当然、僕は被害者だと主張する気はない。

むしろ情報を発信する以上、加害者であると思っている。

僕の文章を「いろんな価値観がある」と頭で理解して読んでも、感情としては整理がつかず、傷ついている人もいるだろう。

誰でも読める空間に、違う価値観を投下すること自体、加害者に成り得る。

そして、その中でも。多くの情報を発信する僕は、圧倒的に加害者寄りだろう。

それは自覚している。

「発言に気をつけよう」と訴える気は、ない。

勘違いしてほしくないのは、僕は「発言に気をつけよう」と訴えたいわけではない。

なぜなら、どんなに配慮しても、人を傷つけて生きることからは逃げられないからだ。

僕はこれまで、なんの落ち度もないのに揉め事が起きる様を見てきた。

タイミングが悪かっただけで揉めることもある。

様々な揉め事を経験する中で、よくわかったのは

「自己を表現する以上、どうやっても揉め事は起こる。」ということ。

回避は出来ない。

どんなに配慮しようと、オブラートに包もうとも、奥にあるメッセージに気づく。

それは短文のTwitterでも、Facebookでも、もしかしたらインスタもそうなるかもしれない。

自己を表現した結果、それで合わない人は話し合ったところで永遠に合わないし、さっさと離れたほうが良い。

結局のところ、自己を表現することは加害者になりえるということだ。

発言を気にしたところで、無駄である。「発言しない」が正解だ。

「煽り耐性がない」という言葉を使う人間は、正当化している。

その結論になったとき、「僕は表現者である以上、加害者である」と自覚した。

自分に加害者の自覚があるからこそ、「煽り耐性がない」という言葉は使わない。

結果、ネットにある色んな言葉に違和感が出てきた。

その中でも「煽り耐性がない」という言葉の違和感が凄かった。

僕の考えとして、「煽り耐性がない」という言葉を使う人間は、例外なく加害者の発言であり、自己正当化であると思っている。

自分が加害者であることをオブラートに包み、「煽り耐性がない」「これもネットの作法だ」「ネットを勉強していないやつが悪い」とフォローする。

それを無自覚でやるから、タチが悪い。

加害者の自覚がある分にはまだ良い。

それを「煽り耐性がない」という言葉で済ませ、自分を擁護している人が僕はあまり好きではない。

加害者というのは、得てして自覚がないものだ。

ネットは第2人格ではない。本性だ。

おそらく誰しもふとした瞬間に「自分の言葉が人を傷つけている」ことに気づくのだろう。

「人を傷つけている」自覚が芽生えた時。

素直に反省するか、「煽り耐性がない」と自分を正当化するか。

その瞬間に、その人の本性が出る。

「ネットは攻撃的だけど、リアルは温和」は嘘だ。

今は昔と違い、スマートフォンを使って何時でもネットに繋がる。

ネットとリアルは、密着している。第2の人格ではない。

ネットの本性が、その人のリアル。

ネットこそ、その人の本性だ。

久々にこれを思い出したので、どうぞ。

http://linelog.jpn.org/

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