アニソンDJのけんしろうです。
昔から疑問だったのだけど…
ネットの「煽り耐性がない」というdisに違和感を感じる。
なぜ加害者が擁護されるのだろうか。不思議だ。
煽り耐性とは?
あまり僕も馴染みがない言葉なので、調べてみた。
ネット上では必須の能力とされている。要するにスルースキルとほぼ同義であるが、スルースキルが「いかに気にしないか」に主眼を置いた表現であるのに対し、煽り耐性は「気になったとしても、いかに我慢できるか」に重点をおいた表現であるという点で主観面で若干の違いがある。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%85%BD%E3%82%8A%E8%80%90%E6%80%A7
「気になったとしても、いかに我慢できるか」が煽り耐性らしい。
これとは別にスルースキルというのもあるらしい。
「煽り耐性がない」という言葉
Twitterの検索で「煽り耐性」で調べるとわらわらと出てくる。
https://twitter.com/ponkana113/status/901424937013047296
攻撃的なリプに反論しているのを見て、煽り耐性がないと言うようだ。
または大人気なく反論している様をあざ笑う行為全般を「煽り耐性がない」と言うのだろう。
「煽り耐性がない」という、加害者を擁護する考え方
僕のインターネット歴は20年以上になる。オフ会グループを作ったり、コミュニティの呑み会で幹事を務めたこともある。
その会話の中で、よく煽りの話になった。
昔色んな人に「煽り耐性がないって言っているけど、加害者を擁護する考え方ってどうなの?」と聞いたことがあって。
その時の答えは「いや冗談だから」「挨拶みたいなもの」「ネットの作法だよ」という回答が多かった。
僕は疑問だった。
「いや冗談だから」という言葉。冗談が通用するというのは、信頼関係があった上での話じゃないだろうか。たいして会ったこともない人との信頼関係なんて、あるのだろうか?
「挨拶みたいなもの」という内容にも疑問が残る。ほぼ他人に近い人間を煽ることが挨拶なら、それを学校や職場でも出来るのだろうか?
「ネットの作法」という意見もズルい言葉だと思う。「みんなやっている」「常識だ」と暗に言い聞かせているようだが、それは貴方の常識であって世界の常識では無いだろう。いかにも「常識だ」と言いくるめてくる所に、ブラックさを感じる。
色んな意見を聞きながら、最終的な僕の結論は、
「信頼関係がない人間から煽られるのは、ただの中傷行為」だった。
それを「煽り耐性がない」という言葉で自分を擁護している人をみて、性格が悪いなぁと思った。
ネットの作法って、非常にくだらない。
誰だって人を傷つけている。
「君だって、ブログで人を煽っているだろう」と思う人もいるだろう。
当然、僕は被害者だと主張する気はない。
むしろ情報を発信する以上、加害者であると思っている。
僕の文章を「いろんな価値観がある」と頭で理解して読んでも、感情としては整理がつかず、傷ついている人もいるだろう。
誰でも読める空間に、違う価値観を投下すること自体、加害者に成り得る。
そして、その中でも。多くの情報を発信する僕は、圧倒的に加害者寄りだろう。
それは自覚している。
「発言に気をつけよう」と訴える気は、ない。
勘違いしてほしくないのは、僕は「発言に気をつけよう」と訴えたいわけではない。
なぜなら、どんなに配慮しても、人を傷つけて生きることからは逃げられないからだ。
僕はこれまで、なんの落ち度もないのに揉め事が起きる様を見てきた。
タイミングが悪かっただけで揉めることもある。
様々な揉め事を経験する中で、よくわかったのは
「自己を表現する以上、どうやっても揉め事は起こる。」ということ。
回避は出来ない。
どんなに配慮しようと、オブラートに包もうとも、奥にあるメッセージに気づく。
それは短文のTwitterでも、Facebookでも、もしかしたらインスタもそうなるかもしれない。
自己を表現した結果、それで合わない人は話し合ったところで永遠に合わないし、さっさと離れたほうが良い。
結局のところ、自己を表現することは加害者になりえるということだ。
発言を気にしたところで、無駄である。「発言しない」が正解だ。
「煽り耐性がない」という言葉を使う人間は、正当化している。
その結論になったとき、「僕は表現者である以上、加害者である」と自覚した。
自分に加害者の自覚があるからこそ、「煽り耐性がない」という言葉は使わない。
結果、ネットにある色んな言葉に違和感が出てきた。
その中でも「煽り耐性がない」という言葉の違和感が凄かった。
僕の考えとして、「煽り耐性がない」という言葉を使う人間は、例外なく加害者の発言であり、自己正当化であると思っている。
自分が加害者であることをオブラートに包み、「煽り耐性がない」「これもネットの作法だ」「ネットを勉強していないやつが悪い」とフォローする。
それを無自覚でやるから、タチが悪い。
加害者の自覚がある分にはまだ良い。
それを「煽り耐性がない」という言葉で済ませ、自分を擁護している人が僕はあまり好きではない。
加害者というのは、得てして自覚がないものだ。
ネットは第2人格ではない。本性だ。
おそらく誰しもふとした瞬間に「自分の言葉が人を傷つけている」ことに気づくのだろう。
「人を傷つけている」自覚が芽生えた時。
素直に反省するか、「煽り耐性がない」と自分を正当化するか。
その瞬間に、その人の本性が出る。
「ネットは攻撃的だけど、リアルは温和」は嘘だ。
今は昔と違い、スマートフォンを使って何時でもネットに繋がる。
ネットとリアルは、密着している。第2の人格ではない。
ネットの本性が、その人のリアル。
ネットこそ、その人の本性だ。
久々にこれを思い出したので、どうぞ。
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