DJ論・イベント運営論・オーガナイザー論 アニクラの作り方

DJイベントはビジネス。「趣味」とは言えない。

2017/02/01

この記事は2年以上前の情報です。
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アニソンDJのけんしろうです。昨日深夜に盛り上がった話題から、朝考えてました。

結論としては「DJイベントはビジネスであり、働く人とお金を払うお客さんがいる限り、趣味とは言えない」となりました。

何故かDJイベントのビジネス・マネタイズ話は、タブー扱いが多い。

完全にタブーってことはないとは思うけど、オープンに話すことはない…

Twitterで話すと、変な感じになるじゃない?

何か都合が悪いんでしょうか。

「趣味でやっているから、責任を持たなくても良い」と思っているとか?

「そういう風に話されると、ちゃんとDJやらなきゃならない感じがして嫌」とか?

「音楽とは高尚なもので、儲かる云々は表に出すべきではない」とか?

なんでだろうなぁと。

いい機会なので、僕の考えをぶっちゃけてみたいと思います。

音楽知識や歴史も重要だけど…

元々はこのツイートから始まった話。

あーそういえば、そういうことDJでもあったなーと思って。

今ツイートを見直して気づいたのですが、「DJとして」なのか「DJイベントの主催として」なのかによって解釈が変わってしまうなぁと。

僕がDJを専門にやっているとしたら「音楽知識や歴史を一旦置いとくとか何事だ!」となるでしょう。これは僕が「DJであり、主催でもある」立場だから「音楽を通じたコミュニティ作り」に傾倒するんだろうなぁと。

音楽知識や歴史やコンテクストを反映したDJは、出演者が体現してくれる。それを最高レベルで実現するために、機材の手配であり施設の環境であり告知であり、ありとあらゆるものの手配に動くのが主催だろうなぁと。

DJ出演する以上、「ビジネスに関わってない」と言い切れないのではないか?

続けてこのツイート。

DJイベントというのは、ある程度の規模になると、それなりにシッカリしたスピーカー、クラブで採用されているDJ機材など、数百万円レベルになる。

お店として構えると、これよりもはるかに巨額の金額が投資され、家賃や人件費など毎月経費としてかかっている。

クラブやライブハウスだけでなく、バーもそうですよね。

バーの人がDJイベントを提案する時、少なからず「バーを活気づけたい」意図があるわけです。

「DJが良い感じに盛り上げて、みんなでお酒を呑んで、楽しい場が出来ればバー自体のファンが付く」というところも、少なからずあるでしょう。

そこには貸す側のビジネス的意図があるわけです。

DJイベントの主催とはその意図を読んだ上で「演者・お客さん・場の貸出し側」の3者良しを目指すものだと思っています。

「本質はビジネスだなぁ」という発言には、そういう意味が込められています。

DJイベントのビジネス・マネタイズ話、タブー扱いなの、なんでだろう?

一部のDJは、ビジネスやマネタイズという言葉を毛嫌いしています。

ビジネスという言葉から「俗物的」「守銭奴」というイメージが連想されるのかもしれませんね。

または「仕事は辛いもの」というイメージがあったり、「今の仕事が辛い」など仕事に対してマイナスイメージがあると、そういうビジネスに対して負の思考になってしまうのかもしれません。

ビジネスという言葉のイメージは、想像の域を出ないが、僕にとってビジネスの定義は、こう思っています。

ビジネスとは「相手の期待値以上の成果物を提供することで対価を得るもの」

これはずっと僕が抱く信念のようなものです。

DJイベントを主催し、お客さんがお金を払って来場されるということは、少なからず相手は僕らに期待しています。

だからDJイベントは「素晴らしい音楽と空間をいつもありがとう!とお客さんからお金を頂く物」とじゃないかと。

だから僕は「素晴らしい音楽と空間をつくること」に全力を注ぐわけです。ブッキングから会場打ち合わせから、すべてにおいて。

もしDJイベントが「素晴らしい音楽と空間をいつもありがとう!とお客さんからお金を頂く物」ではないと否定する人がいるなら、その人は一体何の価値を提供しているのでしょうか。

お客さんから”何かを”受け取る以上、ビジネスになる。

「趣味の世界にビジネスを持ち込むな!」という意見も分かります。「そういう窮屈な世界に趣味を巻き込むな」という意見も。

なぜ「ビジネスは窮屈で制限が多い世界」となるのだろう?
自分の好きなように、自由に楽しんだ上でビジネスになる人もいるのに。

それに、お金を取る以上、目に見える・見えない形問わず、お金が動く。「やりたいやつは全額自腹でやる」という意見もあるが、その日の施設利用料金とドリンク売上を全額払い、無料開催するという形なら完全趣味の世界だろう。「いやそれは…かかっている費用分は頂きたい…」となれば、「相手の期待値以上の成果物を提供することで対価を得るもの」というビジネスの定義になっちゃう。「そういうお金周りに一切関わりたくない、趣味的でやりたい」のであれば、もう残るは家しかない。

だから、DJ機材を触ることは趣味かもしれないが、DJとしてお客さんの前に立つと、趣味とは断言できないものになる。と僕は思うのだけど、どうなんでしょう?

「お客さんの懐」により、相手が変わる。

そしてお金を取る以上、お客さんの懐事情に影響される。

お客さんの所持金は有限。1ヶ月の収入の中でDJイベントにお金をかけてもらおうと思った時、あらゆるものがライバルになる。

「その日洋服を買おうと思ってん」と思えばアパレルショップがライバルになるし、「ちょっと旅行に行こう」と思ったら、旅行会社がライバルになる。

その中でもアニクラ主催として一番のライバルだなぁと思うのが、ソシャゲ。

10連ガチャとか回したら、あれだけで3,000円~4,000円くらい飛ぶよね!

僕もソシャゲの10連ガチャ回すけど「今月は外出を控えよう…」ってなるもん。

もうちょっと、マネタイズの話をオープンにしても良いのかもね。

こういう、集客とか、ビジネスとか、マネタイズとか、お客さんの懐の話とか。

「お客さんの懐事情を考え、自分達が好きなようにやった上で、どうやって繁盛させるか」という話をオープンにできるようになれば、もうちょっと、ビジネスやマネタイズの話をオープンに出来るようになるのかなぁと。

まぁ流石に「俺はこれだけ儲かっているぜ~ヘヘイ!」って公言するのはどうかと思うのだけど。

どうも、そういう話が出来ないのは「お金を稼ぐこと=不浄のモノ」という認識がないか?と思うわけです。

それがDJイベントをビジネスやマネタイズの話としてすることをタブー化しているのかなと。

嫌儲主義がそうさせるのかもしれませんね。

このブログを始めたころも「楽してアフィで儲けようとしている」とか言われましたし、今は「儲かっているんだから奢れ」とかたまに言われますね。

嫌儲主義というのは、お金を稼ぐ思考側ではなくお金は貰う思考側による悪しき慣習でしょう。

「嫌儲」な人たちは、一生貧乏人。
http://www.ikedahayato.com/20171228/73804057.html

この記事はちょっと過激ですが、概ねその通りだと思います。

お金を不浄のもの・嫌な仕事を我慢してやることで貰う対価と思ってしまうと、上手くいかないと思います。

本来、お金とは喜びの対価だと思うんです。

喜びの対価=お金

楽しくDJやって、お客さんにも喜ばれて、その喜びの対価がお金となって戻ってくる。

僕の言うビジネスとは、それだけの話です。

その理想に対して、主催はどういう絵を書くのか、それが面白い。

こういう考え方も、ありだよね。

クラブは自由だもの。

そう思います。

ではでは~。

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