けんしろうの日常

「けんさんは自由にやったほうがいいよ」って言葉に救われた話。

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アニソンDJのけんしろうです。かつてないほど自由に活動をさせていただいています。

その自由の集大成ともいえる「ミナトレイヴ」でしたが、次回に向けて各方面と調整中でして…もう少し告知に時間がかかります。お待ち下さい!11月上旬の日曜か祝日です!

さて、現在は特に主催イベントもミナトレイヴぐらいしかなく、後は箱イベの主催が幾つかあるくらいでノンビリとアニクラで楽しませていただいています。運営は面白い。

久々に会うDJさんとお話して。そのDJさんから常に言われるのが

「けんさんは自由にやったほうがいい」という言葉。

この言葉には随分と救われました。

自由とは何か?

自由とは、行動の結果が全て自分にフィードバックされること。

難しく書いてしまいましたが、自由とは「全て自分の好きにできること」ではなく、「全て自分の好きにできる上で、好きにした結果を受け止めることができる」状態を自由だと思っています。

自分が起こした行動のメリットであったり、責任であったり。そういう良い所も悪い所も全て自分に帰ってくる状況が自由じゃないかと。

「自由には責任がつきまとう」って言葉、いい言葉ですねー。

自分がやれることが少なくなると、自由ではなくなる。

自分がやれることが少なくなると、試せることもリスクを背負うこともできなくなり、自由ではなくなる。

あらゆるフィードバックを見たいのに、自分の選択肢が狭いと限られたフィードバックしか得られない。それもつまらないものです。

自分がやれることが少ないことによるつまらなさ。帰ってくるものも想定できちゃう意外性のなさ。どれをとっても自分に何一つメリットがない。

他の責任まで背負うと、自由ではなくなる。

また、人の責任まで背負うと更に自由ではなくなる。

色んな人に確認やコンセンサスを通さないといけなくなり、今やるべきことが今すぐできない。
これもまた、ストレスもたまる一方だし自由じゃないなぁと思いますね。

自由な発想は現状を打破する一方、やってみないとわからない側面もあるので保守的な人に反対されやすい。

毎回会議で決めるような流れになってしまえば、自分がやれることが少ない上で、なぜか責任は重い。そんなのアホらしいですよね。

自由さがなくなるなら、イベントの名前もあんまり背負いたくないし、みんなに制約を課してしまうならイベントクレジットなんて無くてもいい。

○○の代表としてという発想は、会社だけでいいと思う。

自由を謳歌するために、何をすべきなのか。

いくら自由とはいえ、1人で出来るものには限界があります。

そういうとき、気楽に相談できる仲間であったり、共に遊んでくれる友達がいるとより一層楽しい物ができます。

人の縁は大事にしたいですね。
人に迷惑をかけるような自由なんていらないものね。

色んな人と関わって、楽しい物・新しい物を作っていきたい。

誰も見たことない景色を見せていきたい。

そのためには僕自身が自由であり、フットワークが軽いままがいい。
そう思うようになりました。

あと、意外に僕、縛られるの駄目なのね。マゾだと思ったのに。

これもまた、教えてくれた人に感謝です。

随分と、人を見る目があるDJだなぁと思いました。

-けんしろうの日常