けんしろうの日常

「自分のDJとは?」と問いかけると、マジでしんどいので、辞めた。

2017/01/05

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ちょっと前までは、「仕事のようなDJをする」とか「色がない」とか色々言われてきて、自分でも「自分のDJとはなんだろう?」と考えながら苦悩してきた。

ここに来て今の自分は、かなり自由にDJをしている。

正直、自分のDJとは?という問いを自分にし続けることに疲れた。

そんなものはいらない。

その場のパーティーが楽しくできれば、それでいい。

そう思えるようになったのは、本当につい最近だ。

色を求められる

DJには色を求められると思う。

特にアニソンDJの場合は「愛のあるDJ」という言葉がある。

自分が大好きで仕方がないアニメ作品の曲をかけ、心の底から盛り上がり、愛情を表現する。

そういうものが是とされてきた。

その逆が、愛の無いDJだ。

僕がDJをはじめたときは、「愛の無いDJ」と散々言われて来た。

いわく、盛り上がる曲しかかけない。こだわりが見えない等。

「この曲の後にその曲?なんで?」と言われることも多い。

その流れが読めなくて、今まで苦労してきた。

「アニメを見れば分かる」そう言われてアニメを見るが、やはりピンとこない。

色んな人に答えを聞いても、「自分で見つけるもの」という答えが多い。

「愛のあるDJ」なんと罪深いワードだろう。

随分と長く、長く、苦しんだ。

DJソフトの進化により、随分と楽にDJができるようになったと言われる。

その代わり、選曲や流れが良いか悪いか、その部分の議論がDJ同士で行われる。

だから、この「愛のあるDJ」という難題にぶち当たる人は、多いはずだ。

「自分のDJとは?」「愛のあるDJとは?」

これまでさんざん考え抜いてきた。

いろいろ試し、意見をもらい、やってきたが…

最終的に、僕は考えることをやめた。

まず目の前の出演に集中し、当日お客さんと会話し、こういう曲をかけたら喜ぶんじゃないか?それが違和感ないようにするには、こうやったらいいんじゃないか?それを続ける日々を過ごすことにした。

その成果は、少しずつ、出ていると思う。

この前ゲスト出演したときに、お客さんから言われた「推しのDJが推しのイベントに出る喜び」という言葉は、1つの救いだった。

たった一言で、救われる。

けんしろうさん、フロアが答えなんですよ。

色々僕もDJについて考えたり、話したりすることはあるけれども。

最終的に、出演してDJしてみないとわからないことが多いなぁと。

結局、フロアが盛り上がるかどうか。

その時の役割が「盛り上がること」じゃなかった場合、自分が与えられた時間に自分の役割を果たせたかどうか(ここは一旦、落ち着かせようと考えてDJをして、そのとおりになったのか。等)

自分の技量で貢献できたのか?その部分に集中するようになった。

以前、関西の老舗オーガナイザーから頂いた「けんしろうさん、フロアが答えなんですよ。」という言葉が今でも身に染みる。

DJ論など色々あるけれども、やってみない限りはわからない。

やってみる機会が来ない限り、自分が話していたことが結果どうなのかは分からない。

だから、腕を磨き続ける。

楽しいパーティーになれば、それでいい

かくして僕は「自分のDJとは?」「愛のあるDJとは?」という問いを辞めて、楽しいパーティーにするために、自分の技術を磨くことに集中することにした。

それはDJだけの技術で良いのか、他の要素も必要なのか?悩みは尽きないが、最初の頃の堂々巡りよりはマシな心理状態だ。

周りのDJと比べて「あぁ、俺は愛がないなぁ」と悩むこともない。

僕は僕、他は他。みんな違ってみんな良い。

楽しくやれたら良い。自由にやれたら良い。

そういう心理状態になって、随分と楽になった。

これからも、楽しいパーティーを。

ではでは。

追記

文脈・流れについて解説している記事があったので、貼っときます。

【J-POP DJの方法論】選曲における《繋がり》の生み出し方http://koboriakira.com/2015/11/26/2025/

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