ちょっと前までは、「仕事のようなDJをする」とか「色がない」とか色々言われてきて、自分でも「自分のDJとはなんだろう?」と考えながら苦悩してきた。
ここに来て今の自分は、かなり自由にDJをしている。
正直、自分のDJとは?という問いを自分にし続けることに疲れた。
そんなものはいらない。
その場のパーティーが楽しくできれば、それでいい。
そう思えるようになったのは、本当につい最近だ。
色を求められる
DJには色を求められると思う。
特にアニソンDJの場合は「愛のあるDJ」という言葉がある。
自分が大好きで仕方がないアニメ作品の曲をかけ、心の底から盛り上がり、愛情を表現する。
そういうものが是とされてきた。
その逆が、愛の無いDJだ。
僕がDJをはじめたときは、「愛の無いDJ」と散々言われて来た。
いわく、盛り上がる曲しかかけない。こだわりが見えない等。
「この曲の後にその曲?なんで?」と言われることも多い。
その流れが読めなくて、今まで苦労してきた。
「アニメを見れば分かる」そう言われてアニメを見るが、やはりピンとこない。
色んな人に答えを聞いても、「自分で見つけるもの」という答えが多い。
「愛のあるDJ」なんと罪深いワードだろう。
随分と長く、長く、苦しんだ。
DJソフトの進化により、随分と楽にDJができるようになったと言われる。
その代わり、選曲や流れが良いか悪いか、その部分の議論がDJ同士で行われる。
だから、この「愛のあるDJ」という難題にぶち当たる人は、多いはずだ。
「自分のDJとは?」「愛のあるDJとは?」
これまでさんざん考え抜いてきた。
いろいろ試し、意見をもらい、やってきたが…
最終的に、僕は考えることをやめた。
まず目の前の出演に集中し、当日お客さんと会話し、こういう曲をかけたら喜ぶんじゃないか?それが違和感ないようにするには、こうやったらいいんじゃないか?それを続ける日々を過ごすことにした。
その成果は、少しずつ、出ていると思う。
この前ゲスト出演したときに、お客さんから言われた「推しのDJが推しのイベントに出る喜び」という言葉は、1つの救いだった。
たった一言で、救われる。
けんしろうさん、フロアが答えなんですよ。
色々僕もDJについて考えたり、話したりすることはあるけれども。
最終的に、出演してDJしてみないとわからないことが多いなぁと。
結局、フロアが盛り上がるかどうか。
その時の役割が「盛り上がること」じゃなかった場合、自分が与えられた時間に自分の役割を果たせたかどうか(ここは一旦、落ち着かせようと考えてDJをして、そのとおりになったのか。等)
自分の技量で貢献できたのか?その部分に集中するようになった。
以前、関西の老舗オーガナイザーから頂いた「けんしろうさん、フロアが答えなんですよ。」という言葉が今でも身に染みる。
DJ論など色々あるけれども、やってみない限りはわからない。
やってみる機会が来ない限り、自分が話していたことが結果どうなのかは分からない。
だから、腕を磨き続ける。
楽しいパーティーになれば、それでいい
かくして僕は「自分のDJとは?」「愛のあるDJとは?」という問いを辞めて、楽しいパーティーにするために、自分の技術を磨くことに集中することにした。
それはDJだけの技術で良いのか、他の要素も必要なのか?悩みは尽きないが、最初の頃の堂々巡りよりはマシな心理状態だ。
周りのDJと比べて「あぁ、俺は愛がないなぁ」と悩むこともない。
僕は僕、他は他。みんな違ってみんな良い。
楽しくやれたら良い。自由にやれたら良い。
そういう心理状態になって、随分と楽になった。
これからも、楽しいパーティーを。
ではでは。
追記
文脈・流れについて解説している記事があったので、貼っときます。
【J-POP DJの方法論】選曲における《繋がり》の生み出し方http://koboriakira.com/2015/11/26/2025/